海外勤務が長いのでいわき市の友人たちと疎遠になっていた。ジャカルタに届く日本の新聞を見る限り、なぜか、いわき地方の記事は少なく、三陸海岸のような津波被害は免れたのかと誤解していた。
古代魚・シーラカンスの調査で何度もインドネシアに来た「アクアマリンふくしま」のスタッフたちに再会し、復興の模様を聞きたいと思い、小名浜を訪ねた。
彼らは、インドネシアの海に生息するシーラカンスの群れを世界で初めて撮影し、日イ親善のシンボルにしてくれた恩人である。
常磐線の泉駅からタクシーで乗り付けると、かつて海水浴を楽しんだ海は荒れ果て、魚市場や工場は無残な姿をさらけだしていた。津波の被害は、想像以上だった。
「もっと早く、来るべきだった」と悔やんだ。
「兄貴、記者魂があるなら、原発事故を徹底して調べてくれ」。小名浜に嫁いだ妹とその夫は数年ぶりに顔を見せた私に怒りをぶちまけた。故郷を離れ不義理な人生を送ってきた私に対する怒りと、放射能汚染、風評被害に対する怒りがごっちゃになっている。
「人ごとじゃないんだよ」と妹。家は傾き屋根瓦も崩れ落ちている。夫婦そろって怒るのは、地震の被害はどうでもよく、政府や東京電力が大うそつき で、国民をだましているということだった。「放射能はあの日の爆発で福島全域に広がったんだ。メルトダウンも起きていたし、退避命令だっていいかげんだっ た。情報を隠さず、正確に流してくれれば、これほどの不安は起きなかった」と嘆く。
東電は放射能の封じ込めを目指しているが、一朝一夕に収束できるとは思えない。生まれ育った土地を追われ、避難生活を余儀なくされている人々、子 どもたちの将来を心配し、放射能におびえる親たち、風評被害に怒る農家。時間が経過するにつれ、復興の動きから孤立しかねない人々のことを思うと胸が痛 い。
黒潮の海の幸に恵まれ、青空がどこまでも澄み切っていた少年時代を過ごし、戦中から今日まで生き延びてきた世代として「フクシマの悲劇」に、なんとか向き合わないといけない。あの日以来、そんな切迫感にとらわれてきた。
いわき市の公務員だった旧友に半世紀ぶりに電話すると「いつまで外国にいるの。早く帰って来たら」とアドバイスされた。年を重ねたこともあり、「帰りなん、いざ」の心境になりつつある。(毎週土曜日掲載)
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■人物略歴
1966年毎日新聞社入社。仙台支局、東京社会部、ジャカルタ、マニラ、バンコク、プノンペン支局長を経て95年定年退職。タイ英字紙「アジアタイムズ」「英文毎日」記者などを歴任。じゃかるた新聞編集長
(Source: mainichi.jp)